藩邸クロスオーヴァー

江戸の大名屋敷(江戸藩邸)址は、地方出身者と東京を結び、東京の昔といまを結んでくれる接点です。
秋山兄弟の像-旧領民からみた『坂の上の雲』(其の三)[松山藩松平家上屋敷]
今日は、スペシャルドラマ『坂の上の雲』の初放映ですね。

先の「忠魂碑」について書いた記事のほうが独自性はありますが、今回は写真中心で。

万葉の昔から、松山に去来する船が停泊したといわれる三津浜の港。
額田王が「熟田津に船乗りせむと月待てば……」と詠んだ熟田津(にぎたつ)は、この三津浜か近くの古三津、または堀江、北条のあたりではないかといわれています(今治や対岸の大分ではないかという推論もありますが……)。
明治28年(1895年) 、夏目漱石が来松した際に利用したのも、この港でした。

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【写真:真之像のある大丸山から眺めた三津浜港。防予汽船の船が柳井に向かいます】

港を望む高台の上に、秋山好古・真之の銅像があります(伊予鉄梅津寺駅から徒歩5分)。
弟の真之も、東京に向かう際、大志に燃えてこの港を発っていったのでしょう。

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【写真:秋山兄弟像の案内板。現在は、ドラマにあわせてもう少し整備されています】

現在の真之の像は、10kmほど東にある、石手寺(四国八十八カ所の第五十一番札所)境内にあったそうなのですが、昭和43年(1968)に移されてきました。
しかし真之の人生を考えるとき、むしろ船出の地である三津浜のほうが、よりふさわしいという気がしてきます。

この秋山兄弟像は、時代の流れに翻弄され、もう少し込み入った経歴をもっているのですが、詳しくはNHKのサイトでご確認ください。

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【写真:見晴山にある秋山好古像(2代目)。昭和45年(1970)建立】

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【写真:秋山好古像の説明板】

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【写真:台座は、昭和11年(1936)道後公園に建てられた初代騎馬像から移設したもの】

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【写真:大丸山にある秋山真之像(2代目)。昭和38年(1963)建立、その後現在地に移設】

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【写真:秋山真之像の説明板】

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【写真:台座は、昭和6年(1931)道後公園に建てられた初代立像のものが、2転して現在地へ】

いっぽう、復元された「秋山兄弟生誕地」には、道後公園に設置されていた好古の像(初代)が復元され、真之の胸像もあります。

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【写真:秋山兄弟生誕地。常盤同郷会に隣接して復元】

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【写真:復元・秋山好古騎馬像】

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【写真:秋山真之胸像】

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【写真:復元された秋山邸の中。展示されている甲冑は、秋山家と関係ありません】

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【写真:秋山兄弟が使った『論語』の本。落書きがしてありました】

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秋山兄弟生誕地
松山市歩行町2-3-6 財団法人 常盤同郷会本部地
問合せ:089-943-2747
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# by edohantei | 2009-11-29 20:32 | 国許探訪
好古と砲弾-旧領民からみた『坂の上の雲』(其の二)[松山藩松平家上屋敷]
旧松山藩領の、山あいにある町。夏休みに、私たちの住む地区でラジオ体操の会場となっていたのは、山の公園でした。

集合場所として、またラジオなどを置く台として利用していたのは、古い石碑です。またときには、この碑自体が、子どもたちの遊び場になっていました。

方形の石積みの上に、何年もかけて磨いたようなツルッつるの自然石が乗り、その上に碑本体が立っています。
碑銘は、「忠魂碑」。
その左には、「陸軍大将秋山好古謹書」とあります。
そして、自然石と碑本体の間にはさまり、なにか錆びた鉄の円筒が2本、ヌッとでていました。

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【写真:忠魂碑。この公園の裏手は昔、はげ山になっており、冬はスキーができました】

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【写真:碑の自然石の礎石と鉄の円筒】

小学生の私は、「好古って変わった名前だなぁ」と思ったことを覚えていますが、この碑の本当の意味を知るのは、後年、『坂の上の雲』を読んでからでした。

「忠魂碑」は、太平洋戦争まで全国各地につくられた、各戦の戦没者を慰霊し、忠節をたたえる碑。
件の石碑は、日清・日露の戦没者を示した慰霊碑で、昭和4年(1929)11月の建立だとあります。

碑文によれば、日清・日露の戦没者は、それぞれ2名、7名。
こんな寒村からも出兵していき、さらに戦没者までだしたことを考えると、とくに日露戦争が、国の総力をあげた戦争だったことを示しています。

好古の石碑についてよく調べられているブログ「鐘馗さんと名城めぐり」さんによると、秋山好古の揮毫(きごう)による石碑は、全国で44基発見されいてるそうですが、忠魂碑も複数あるようです。
「揮毫」とは、『大辞泉』によれば「特に、知名人が頼まれて書をかくこと」。
当時、各界の著名人や功労者が頼まれて碑銘を書することは、よくあったそうです。
好古揮毫の多さは、日本陸軍の要人であったためでしょうが、同時に、彼が同胞のことを思い、その死を強く悼んでいたことが偲ばれます。

山村の忠魂碑に戻りましょう。

この碑について特筆すべきなのは、碑の礎石となっている自然石と、そこからヌッと突き出していた鉄の円筒。
実は、日露の戦場に残されていた大石であり、砲弾だったのです。

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【写真:この錆びた鉄が、日露戦争の砲弾でした】

碑文は長年の風雨にさらされ、読み取れない文字もありますが、大意を示せば「この碑のためにはるか大連の地から、同胞の鮮血が飛び散った大石と、戦地にあった砲弾が送ってもらった」と書かれています。

軍関連の碑に、砲弾をかたどった支柱が置かれたりすることはよくあります。
しかし、苦心して運んだ遺物が使われている。たんに体裁だけを整えたのではない、思いの強さを読み取ることができます。

私は、秋山好古関連の史料を精読したわけではないので、彼の人柄は『坂の上の雲』をもとにするしかありませんが、好古がどういった人物であったか、この碑からもその匂いが立ち上ってくるように感じました。

次回は、秋山兄弟の像を、写真中心でご紹介しましょう。

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●「忠魂碑」所在地
【笛ヶ滝公園】愛媛県上浮穴郡久万高原町上野尻
問合せ:久万高原町役場産業振興課(TEL:089-221-1111)
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# by edohantei | 2009-11-28 18:28 | 国許探訪


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