藩邸クロスオーヴァー

江戸の大名屋敷(江戸藩邸)址は、地方出身者と東京を結び、東京の昔といまを結んでくれる接点です。
殿様の呼び方
今日は少し、提言めいたことを書きます。
辛口になるかもしれませんが、御寛恕ください。

戦国武将好きなレキジョの日常を、マンガやエッセイでつづった『戦国武女子、参る! いっそ武将に仕えたい!』(そらあすか著/メディアファクトリー)が、ちょっとした話題になっていますね。

その中に、殿様によって「誰々は御実城様」「誰それは御屋形様」と呼び方が変わる、という話がでてくるのですが、そのエピソードを読んで、私は、仕事でお世話になった女性編集者のことを思い出しました。

ある本の制作過程で、ライターさんが上げてきた原稿の中に、徳川将軍もしくはどこかの藩主のことを「彼」と呼んだ下りがありました。
たとえば、「後を継いだのが四男の吉宗である。彼は、(以下人物評)」というような感じです。

それを読んだ私は、なんとなく違和感をもったのですが、事実誤認などはなかったので、そのまま件の編集者さんに渡しました。
すると、「殿様のことを“彼”と呼ぶのはちょっと……」という校正(訂正)が返ってきたのです。

それをみて私は、「なんとも古風な……」と思ういっぽうで、少しうれしい発見をした感じで、新鮮な気分になりました。

古くは、位の高い人の氏名を直接呼ぶことがはばかられるため、その人の屋敷がある場所や、支配している地域で呼び変えられることがよくありましたね。
その時代、相手との身分関係で生まれる特有の呼び方、とでもいえばいいでしょうか。「御実城様」などもその一つですね。 

たとえば、平安時代にあっては「白河殿」などがわかりやすい例ですし、徳川家がたっとばれた江戸時代では、市街図にあたる切絵図をみても、御三家なら「尾州(尾張)殿」だとか「紀伊殿」「水戸殿」、御三卿では「清水殿」などと書かれています。
たとえ御家門であっても、会津松平家が「松平肥後守」と書かれているのに比べれば、扱いが一段違うのです。

明治以降、さらに戦後になってから、民主主義教育が徹底されるにつれ、身分や階級といったものが、とにかく悪いものと考えられるきらいがありました。

そして今では、歌舞伎役者や狂言師、落語家など、古くはいわば「異能の人」であった芸能を職とする人たちが、ときには実際の価値以上に持ち上げられる一方で、天皇陛下が「天皇」と呼び捨てにされるようなことさえ、ままあります。
敬意の比重が、あべこべなのです。

私は、別にネット右翼でもなければ差別主義者でもありませんが、いにしえの支配階級が築いてきたものに対する最低限の敬意は、やはり必要なのではないかと思います。

テレビで、識者が「天皇が……」などといっているのを聞くと、虫の居所が悪いときは「どこの馬の骨がいってんだよ」と、大人げなくも思ってしまいます。

もちろん、すべての人がそうあるべきとは思いませんし、歴史に関心のない人が、殿様のことをどう呼ぼうがかまいませんが、少なくとも歴史好きの私たちのうち一定数は、そこにちょっとしたこころづかいをしていいんじゃないか、と思うのです。

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by edohantei | 2009-11-14 02:30 | 藩邸随想
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