藩邸クロスオーヴァー

江戸の大名屋敷(江戸藩邸)址は、地方出身者と東京を結び、東京の昔といまを結んでくれる接点です。
旧領民からみた『坂の上の雲』(其の一)[松山藩松平家上屋敷]
11月29(日)の放映開始を間近に控え、連日深夜、NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』を紹介する番組が再放送されていますね。
やるぞやるぞといいながら、何年もたちましたので、ファンの方としては「ようやく」という感が強いでしょう。

旧松山藩領出身の私も楽しみにしていますが、気分屋なので面倒くさかったら観ないかもしれません。

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【写真:松山城天守の破風群】

司馬先生の作品は多くのファンを生み、その影響力は計り知れないものがあります。
しかし、いわゆる「司馬史観」への反発から、批判的な人も少なくないですね。
『坂の上の雲』の舞台となった、地元松山市も例外ではありません。
映像化に先だって2006年には、松山城域内に「坂の上の雲ミュージアム」が竣工したのですが、『坂の上の雲』を軸としたまちづくりに対しては、市内の市民団体から反対意見がだされ、軌道修正を余儀なくされたという経緯もあります。
なかなか、難しいところですね。

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【写真:坂の上の雲ミュージアム前の番長遺跡案内板】

私自身は、どういう立場をとろうというつもりもありません。
とはいえ。

司馬先生は、たとえば『街道をゆく14 南伊予・西土佐の道』などで、本当に上手く伊予、そして松山の気風を持ちあげて下さっているんですよね。
賛美一辺倒でもなく、少しからかうような感じも含みながら、その味を描写する。
これが、気持ちいい。
「愛媛って、名古屋のあるところだよね?」といわれることさえあるマイナー県ですからね。
伊予人の私としては、司馬先生の「お上手」が、単純にこそばゆく、うれしいのです。

伊予は古来、常に負けつづけてきた国でした。
承平・天慶の乱では藤原純友が追捕され、承久の乱では、最大の豪族・河野氏が宮方について一族滅亡の危機に陥り、南北長期は阿波・讃岐にいた細川氏の動向に翻弄され、戦国期は毛利、大友、一条、長宗我部氏の侵略を受けました。
さらに、戊辰戦争にあたって松山藩は朝敵の汚名を着せられ、慶応4年(1868)1月から5月まで土佐藩の占領を受けて、完全な負け組のまま明治を迎えたのです。

伊予が武勇をはせたのは、藤原純友の戦いぶりや、源平の争乱で活躍した河野通信、元寇時に「河野の後ろ築地」でがんばった河野通有のときくらいでしょうか。
第二次長州征伐時、大島口の戦いでの惨敗は、まことに情けないものだったようです。

いま、そのことを意識している愛媛県民は少ないようですが、明治期、秋山兄弟が遮二無二がんばったのも、こうしたことが背景にあったためかもしれません。
かわいそうな伊予、かわいそうな松山……。

でも、そういう虐げられた感じが、なぜか愛媛にはありません。
なんとなくやんわりと、現状を受け入れて鷹揚に生きている。似たようなことを、司馬先生もおっしゃってますが、やる気もないけど大して悲観もしていない、ある意味楽天的で、ほどほどに現実的なところが、伊予人の特徴なのかもしれません。

次回の記事では、ちょっと地元の人しか知らないような秋山兄弟の情報も交えながら、松山藩の国許を語ってみましょう。

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【写真:松山城天守からみた道後平野と瀬戸内の海】

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by edohantei | 2009-11-25 21:44 | 国許随想
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