藩邸クロスオーヴァー

江戸の大名屋敷(江戸藩邸)址は、地方出身者と東京を結び、東京の昔といまを結んでくれる接点です。
カテゴリ:藩邸随想( 4 )
サムライ・ハイスクールと望月氏[松代藩上屋敷、望月能次郎居屋敷]
この秋、日テレ系列で毎週土曜21時から放映されている『サムライ・ハイスクール』

大坂夏の陣で戦没した真田幸村の若き家臣・望月小太郎が、氏名を同じくする現代の高校生に乗り移り、さまざまな事件を巻き起こす、学園ドラマというかホームコメディというか、そんな感じのドラマです。

戦国武将がからんでいるけれど、史実とは無関係の他愛ない作り物。といえばそれまでですが、こんなベタな青春ドラマもいいじゃないか、と毎回楽しみに観ています。
11月21日放送の「其の六」では、主人公・望月一家の家族愛に、ホロリと涙まで流してしまいました。

それはさておき、「望月小太郎」。
ドラマでは、真田一の武将・望月宇兵衛の弟という設定になっています。
このドラマのために創出されたであろうこの人物は、なにか前提となるものがあったのでしょうか。

真田といえば、「真田十勇士」
参考にはなるし情報量も多いけど、事実誤認も多いWikipediaによれば、真田幸村(信繁)に仕えたとされる彼らの呼び名は、立川文庫にはじまるそうです。

もちろん物語上の存在で、実際に「真田十勇士」と呼ばれた家臣団(?)はいなかったらしいですが、十勇士のうち、モデルとなる人物がいる者、実際に存在した者もいるそうなので、こちらをチェックしましょう。

いました。望月六郎です。
これまたWikipediaによれば、望月六郎には、「望月宇右衛門、または望月甚左衛門、または望月卯兵衛、または望月卯左衛門幸忠」というモデルが存在するそうで、

望月卯兵衛×望月宇右衛門=望月宇兵衛

となった可能性はありそうです。このあたりは、ドラマの制作者に訊くのがいちばん早いのでしょうが……。
望月自身が死んだのは、おっさんになってからなので、乗り移った高校生に年齢を合わせるため、享年17歳の「望月小太郎」が創りだされたのでしょう。

とはいえ、真田氏望月氏には関係があります。
真田氏も望月氏も、信濃の名門・滋野(しげの)氏の末裔を称する一族なのです。

いつも参考にさせていただいている「播磨屋.com」さんの「武家家伝」によると、望月氏については「滋野氏の後裔を称しているが、おそらく信濃十六牧の筆頭望月之牧の牧監であったものの子孫と考えられる」としながらも、系図上は滋野氏後裔の望月太郎をはじめとしているのだそうです。
しかし、望月氏の嫡流は河中島合戦で戦没し、さらにその名跡を継いだ武田家の血を引く人々も、本能寺の変後に起こった混乱のなかで、徳川家康に追い落とされてしまいます。

いっぽう真田氏は、滋野氏嫡流を称する海野氏の分流です。
海野氏は武田信虎と信濃豪族たちに滅ぼされ、さらにその名跡は信玄の子・信親が継ぎますが、武田滅亡とともに絶えます。
以後、海野氏の名は、関ヶ原後も残った真田家の家中に残されていくこととなります。

真田幸村(信繁)と望月六郎、フィクションの中でつながっている二人ではありますが、まったく適当につなげられたのではなく、実は戦国の信濃をバックボーンにしていたんですね。

そういえば、11月20日放送の『タモリ倶楽部』で、静岡には望月姓がやたら多い、という話をしていましたが、山梨県でも、望月は名字のランキング3位以内に名を連ねています。
いっぽう、望月氏発祥の長野県では、ランキング90位以下と他家に押されぎみな状況です。

ところで、藩邸に関するブログなのに藩邸に触れないのもさみしいので付け加えると、信濃松代藩真田家の上屋敷は新シ橋の内、いま中小企業庁などが入っている経済産業省別館あたりにあり、旗本・望月能次郎(熊次郎)の居屋敷は、いまの新宿区西五軒町にありました。

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by edohantei | 2009-11-23 02:00 | 藩邸随想
殿様の呼び方
今日は少し、提言めいたことを書きます。
辛口になるかもしれませんが、御寛恕ください。

戦国武将好きなレキジョの日常を、マンガやエッセイでつづった『戦国武女子、参る! いっそ武将に仕えたい!』(そらあすか著/メディアファクトリー)が、ちょっとした話題になっていますね。

その中に、殿様によって「誰々は御実城様」「誰それは御屋形様」と呼び方が変わる、という話がでてくるのですが、そのエピソードを読んで、私は、仕事でお世話になった女性編集者のことを思い出しました。

ある本の制作過程で、ライターさんが上げてきた原稿の中に、徳川将軍もしくはどこかの藩主のことを「彼」と呼んだ下りがありました。
たとえば、「後を継いだのが四男の吉宗である。彼は、(以下人物評)」というような感じです。

それを読んだ私は、なんとなく違和感をもったのですが、事実誤認などはなかったので、そのまま件の編集者さんに渡しました。
すると、「殿様のことを“彼”と呼ぶのはちょっと……」という校正(訂正)が返ってきたのです。

それをみて私は、「なんとも古風な……」と思ういっぽうで、少しうれしい発見をした感じで、新鮮な気分になりました。

古くは、位の高い人の氏名を直接呼ぶことがはばかられるため、その人の屋敷がある場所や、支配している地域で呼び変えられることがよくありましたね。
その時代、相手との身分関係で生まれる特有の呼び方、とでもいえばいいでしょうか。「御実城様」などもその一つですね。 

たとえば、平安時代にあっては「白河殿」などがわかりやすい例ですし、徳川家がたっとばれた江戸時代では、市街図にあたる切絵図をみても、御三家なら「尾州(尾張)殿」だとか「紀伊殿」「水戸殿」、御三卿では「清水殿」などと書かれています。
たとえ御家門であっても、会津松平家が「松平肥後守」と書かれているのに比べれば、扱いが一段違うのです。

明治以降、さらに戦後になってから、民主主義教育が徹底されるにつれ、身分や階級といったものが、とにかく悪いものと考えられるきらいがありました。

そして今では、歌舞伎役者や狂言師、落語家など、古くはいわば「異能の人」であった芸能を職とする人たちが、ときには実際の価値以上に持ち上げられる一方で、天皇陛下が「天皇」と呼び捨てにされるようなことさえ、ままあります。
敬意の比重が、あべこべなのです。

私は、別にネット右翼でもなければ差別主義者でもありませんが、いにしえの支配階級が築いてきたものに対する最低限の敬意は、やはり必要なのではないかと思います。

テレビで、識者が「天皇が……」などといっているのを聞くと、虫の居所が悪いときは「どこの馬の骨がいってんだよ」と、大人げなくも思ってしまいます。

もちろん、すべての人がそうあるべきとは思いませんし、歴史に関心のない人が、殿様のことをどう呼ぼうがかまいませんが、少なくとも歴史好きの私たちのうち一定数は、そこにちょっとしたこころづかいをしていいんじゃないか、と思うのです。

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by edohantei | 2009-11-14 02:30 | 藩邸随想
google MAP ストリートビューで藩邸探訪
物議をかもしている「google MAP ストリートビュー」ですが、藩邸址をバーチャル探訪して、実際の訪問時の予習とするには、よいツールだと思います。
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by edohantei | 2008-10-07 12:46 | 藩邸随想
江戸の派遣社員
派遣をはじめとする契約社員の方が、目にみえて増えてますね。
実は江戸後期から幕末にかけても、同じような現象がみられたそうです。

当時、江戸城に登下する大名たちが、彼を担いだまま駆け出す駕籠かきによって投げ出され、転倒するアクシデントが度々おきました。他藩の駕籠かきたちと先を争うっているうち、駆け足になってしまうのだそうですが、現場はさながら駕籠かきレースの様相を呈していたそうです。
というのも駕籠かき人には、短期契約の「渡り奉公人」と呼ばれる人が多く、血気盛んで腕自慢をしたがったのだとか。
殿様からみれば災難以外のなにものでもないですが、意外にも当人たちを罰することなく、状況を慮って止めるよう諭す藩もあったそうです。

五節句などの式日の際には、ざっくり270家くらいいる大名のほぼすべてが、行列を組んで江戸城に登城しなければいけませんでした。
しかも、行列の構成員がみんな城内に入れるわけではなく、多くは江戸城大手門、桜田門前の「下馬所」に残され、地べたにござをひいて主人の帰りをずーっと待っていなければならないのです。正直、ものスゴい人数になったでしょう。
さらに供回りの者を連れた大名は、城内に進み「下乗所」で駕籠を降ります。駕籠かきたちは、やっぱりそこで待たされるわけです。
渡り奉公人でなくとも、フラストレーションがたまってしかたなかったでしょうね。

それはさておき、荻生徂徠は、このように指摘しています。
「最近では一生奉公する譜代者がほとんど姿を消し、かわって一年ないしは半年契約で勤める出替り奉公人が大勢を占めている」
さらに、譜代奉公人が流行らなくなったのは、完全終身雇用なので、幼少から教育したり、老後を保障したり、なにかと効率的でないからだ、とも述べています(氏家幹人『殿様と鼠小僧』)。

ことの背景を考慮せずこの現象をみれば、契約社員の割合がどんどん高まっているいまの状況と、似ているのかもしれません。
幕末の藩といえばどこも財政難で、緊縮によるコストダウンや業務の効率化を余儀なくされていました。
徂徠が指摘したような現象がおこるのも当然といえば当然で、「会社の利益をあげるため、効率化とコストダウンをはかる」いまの企業と、「赤字解消のため効率化とコストダウンをはかる」幕末の藩、動機こそ異なるとはいえ、やっていることはいっしょだったともいえます。

いまの企業では、基幹業務を契約社員に依存しているところも多く、それでサービスのクオリティを落とさずに利益をだしている例も多々あるそうですね。
「ハケン」という言葉が一般的になり、テレビドラマでも派遣社員を主人公にしたものが増え、仕事・恋愛・人生について悩みながら生きていく彼らの姿を描いたものがあれば、なんでも快刀乱麻に解決するスーパー派遣が登場したりと、バラエティがでてきました。
それと比べると、藩のふところ事情が招いた「駕籠かきレース」、絵的にはなんとものどかで滑稽ですが、その後の幕藩体制崩壊という結末を考えると、単純には笑えないなぁ、という気もします。


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【写真:江戸城の大手門】

●出典:
氏家幹人『殿様と鼠小僧—老侯・松浦静山の世界』(中公新書)
氏家幹人『悠悠自適—老侯・松浦静山の世界』(平凡社ライブラリー)
平井聖/監修『大名と旗本の暮らし』(学研)

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by edohantei | 2007-04-23 19:18 | 藩邸随想


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