藩邸クロスオーヴァー

江戸の大名屋敷(江戸藩邸)址は、地方出身者と東京を結び、東京の昔といまを結んでくれる接点です。
<   2006年 12月 ( 2 )   > この月の画像一覧
北海道開拓と青山学院:藩邸イルミネーション2[西条藩上屋敷]
青山通りや表参道は、私にとって思い出深いところです。
東京ではじめていったクラブが、1996年当時、青山「ル・デコ」にあった(と記憶している)「PYLON」。南青山の「blue」という、ハウスやレアグルーブがよくかかるクラブにも通ったものです。
まだ20代も前半で、遊びたくてしょうがなかった私でした。

さて、クリスマス・イルミネーションといえば、キリスト教系学校も、毎年きれいに飾り付けられていますね。
私が大学生活を送った関西では、関西学院のイルミネーションが有名でしたが、東京では、立教大学のものがよく知られているようです。
残念ながら立教大学のキャンパスがある場所は、もと池袋村の畑地だったところなので、ここでは置き、藩邸ブログとしては、青山通り沿いにある青山学院大学キャンパスにフォーカスしてみたいと思います。

クリスマス前の青山通り、夜歩くと国連前も宮益坂も電飾で飾られ、さぶい心に益々拍車がかけられます。
青学前で門の中をみると、キャンパス奥のロータリーにそびえる樹の、鮮やかに彩られている姿が目に入りました。青学に、はじめて入ってみます。
確かにキレイだけれども、なんとなく原色過ぎてそらぞらしい光をながめながら、ふと、ここに青学が建ったいわれが気になりはじめました。

現在、青山学院大学が建っている敷地は、江戸時代には伊予西条藩松平家の上屋敷でした。
西条藩松平家は、紀州徳川家からでた親藩連枝で、吉宗が将軍になったあとの紀州藩に藩主を送り込むなど、宗藩との関係が非常に深い家柄だったそうです。

維新の興奮も冷めやらぬ明治4年(1871)、西条藩上屋敷跡地4万坪のうち約3万坪は、北海道開拓使の第1官園となります。
東京に3つあった開拓使官園は、いまでいう農業試験場のようなもので、第1、第2官園では野菜・果樹類を育て、第3官園では牧畜、牧草の育成をおこなっていました。
当時、青山や渋谷はまだまだ田畑の広がるのどかな郊外で、西条藩上屋敷は、江戸時代に霊山・大山に詣でる巡礼で栄えた大山街道沿いにありましたが、版籍奉還、廃藩置県によって大名が立ち退いたあとは、広大な敷地をぜいたくに使うえるような状況になっていました。

開拓使官園が早々と北海道に移転したあと、空いた敷地に目をつけたのが、合併をめざして新校地を探していた2つのキリスト教系学校です。横浜山手に開校していた「美會神学校」と、東京築地にあった「東京英学校」で、これがのちに青山学院大学の原形となります。
彼らは明治15年(1882)に、総額6千円で念願の校地を購入し、それ以来、青山の地は青山学院大学の中心となったのです(現在の区画では、渋谷区渋谷3丁目となっています)。

そこで思い当たったのが、青学創設者と、北海道開拓使との関係です。
創設に、日本人として貢献したのは、明治初期の有名なキリスト教学者であり、最初の女子留学生・津田梅(梅子)の父である津田仙(つだ・せん)でした。
彼は佐倉藩家臣の家に生まれ、明治初期の農学者で、クリスチャン。教育に傾けた情熱は並々ならぬものがあり、自身も幕府使節とウイーン使節団の二度に渡って洋行し、西欧諸国から多くのことを学んでいます。そして、自身の娘も留学させるフロンティアぶりでした。
現在ではキリスト教精神にもとづく教育者としての業績がよく知られていますが、北海道開拓使の発足当初は嘱託を受けて働き、また、民部省にも勤めています。

ここで、さきほどの官園の話にもどってみましょう。
開拓使の官園は、都内に3つあったといいましたが、そのうち第3官園は、もと佐倉藩堀田家の下屋敷です。用地選定のさい、佐倉藩士であった津田の働きがあった可能性も考えられますね。
さらに、第1官園跡地を青学のキャンパスとして選定するにあたっては、開拓使にも勤めた津田の協力があったのかもしれません。

そう考えると、青学が青山の地に根づくには、偶然でなくひとつの流れのようなものがあったように思えてきます。
なんだか、藩邸とイルミネーションの関係とは、まったく関係ないような話になってしまいましたが、おしゃれな青山と江戸藩邸が無縁でなく、二つを結ぶ線が確かに存在していたことだけは、おわかりいただけたかと思います。
西条藩上屋敷については、その周辺も含めて興味深いところがあるので、また調べてみたいと思います。d0121045_1325204.jpg
d0121045_13261252.jpg
d0121045_13265355.jpg


にほんブログ村 歴史ブログ 江戸時代へ
にほんブログ村
[PR]
by edohantei | 2006-12-23 23:00 | 藩邸探訪
藩邸イルミネーション[小倉藩、熊本藩上屋敷]
今週末(「神様は七日目にお休みになられた」という賛美歌にちなみ、俺は日曜も週末に含む)は、もうはやクリスマス・イヴ。
クリスマス前の数週間、つまり、ちょうどいまの時期を西洋の世界では「アドヴェントゥス(ラテン語読みで)」というらしいですが(日本語では待降節、降臨節とも)、街はイルミネーションやら難儀な話ですね。
小生、ここ数カ月の週末は、神田駅か東京駅から帰宅することが多いのですが、夜、家路を急ぎつつ大手町〜丸の内あたりを歩いていると、この無味乾燥なビジネス街にも、とこどこイルミがきらめきよります。

…しかしアナタたち! そこの職場恋愛にいそしむカップルたちよ!
輝くイルミをうっとり眺めながら、まさにその場所が、大名屋敷の址であったことに思いをはせる人が、どれほどいらっしゃいますでしょうか!!!

ということで、ここしばらくは、「藩邸(大名屋敷)址と、そこに輝くクリスマス・イルミネーションの関係」を考察してみたいと思います。

まず第1回は、かつて親藩・譜代の上屋敷がひしめいて華やかなりし「大名小路」、つまり皇居外苑、大手町、丸の内界隈から。

小生は帰宅時、江戸時代にはなかった鎌倉橋を大手町方面に渡り、鶴岡藩(山形県):酒井左衛門尉上屋敷址の日経新聞本社を右手にみながら、東京駅へワシワシあるっていくわけですが、界隈で目立つのは、やっぱり産経新聞前の広場にあるマイクロソフト提供のクリスマスツリー(写真上)。ここは、小倉藩(福岡県):小笠原左京大夫上屋敷址です。

クリスマス・イルミにも流行があり、ここ数年はブルー×シルバー(ホワイト?)が主流のようですが、さすが都心は安易なものにはしないね。
ごらんのように、ツリーの周りは赤・青・白の微細なランプをちりばめたものです。
煎茶道など礼法に秀でた小笠原氏ならではの趣味よのぅ〜(関連はないが)。

さらに進んで東京駅丸の内北口付近までくると、どどーんとでました。
大型ビジネスビル「OAZO(オアゾ)」です(写真中)。
ここは、“おしゃれなショッピング&ビジネスビル”を標榜しているとみえ、館内はポルティコ風の巨大な吹き抜け、館内からエントランスへつづくイルミも、レモンイエローとシルバーのランプはもちろん、ステンドグラス風の飾りもあり、おしゃれ度3割増な感じです。
それもそのはず、かつては室町将軍の側近にして秀吉の御伽集あがり、熊本藩:細川越中守の上屋敷があったのですから、おしゃれは当然ともいえます(関連はないが)。

ここまでくれば、有楽町方面に流れて、高知藩邸址の東京国際フォーラムなど、さらなる華やかさを追求してよいかもしれませんが、そこはひねくれ者の小生のこと。
もうミレナリオもなくなったことですし、もっと地味なおまけをつけましょう。
最後は、和田倉濠のすぐそばにあるパレスホテル(写真下)。ここは、江戸時代に江戸城の御畳蔵があり、お隣には飯田藩(長野県):堀大和守や三上藩(滋賀県):遠藤但馬守など歴代の若年寄が上屋敷として利用した館がありました。
いちホテルのイルミとはいえ、やっぱ地味ですねー。公邸ともなると、こんなふうになってしまうのでしょうか(関連はないが)。

余談ですが、神田駅周辺は、天和の大火のため、数あった藩邸が郊外に立ち退いて以降は町人町となり、藩邸めぐり的にはいまいち面白味に欠けます。
あ。唯一の例外は、テレビCMのロケ地にも使われる今川小路。神田と東京駅の間、JRの高架下にある飲屋街なんですが、こいつは面白げな感じです。
今川小路は、今川橋の近くにあるためその名がついたのだと思われますが、今川という大名っぽい名前だからといって大名・旗本とは関係なく、当時この地の名主であった今川善右衛門なる人物が橋をかけたため、“今川”の名がつけられたのだといいます。
ちなみに、今川焼はこの付近が発祥だそうです。


d0121045_02362.jpg
d0121045_025529.jpg

d0121045_031322.jpg

[PR]
by edohantei | 2006-12-22 23:55 | 藩邸探訪


by edohantei
プロフィールを見る
画像一覧
カテゴリ
全体
藩邸随想
藩邸探訪
国許随想
国許探訪
フォロー中のブログ
最新の記事
以前の記事
メモ帳
最新のトラックバック
「坂の上の雲」の幕末と薩摩
from 郎女迷々日録 幕末東西
「坂の上の雲」NHKスペ..
from 郎女迷々日録 幕末東西
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧